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島田叡 メモリアル ライブ
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神戸出身の島田叡元知事 「沖縄の恩人」遺骨捜索へ
神戸新聞 7月10日 朝刊 http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0005201047.shtml 公式ホームページ
島田叡氏
神戸市出身で、第2次世界大戦中の沖縄戦当時に沖縄県知事を務めた島田叡(あきら)氏の遺骨捜索が、那覇市の財団法人「島守の会」の有志らにより、年内にも実施されることが分かった。島田氏は沖縄戦の舞台となった糸満市摩文仁(まぶに)付近で消息を絶ち、43歳で亡くなったとされるが、その場所や遺骨は見つかっていない。県民に温かい視線を向け、戦後67年となる今も沖縄で「島守」と慕われる島田氏の最期に迫れるかが注目される。(上田勇紀)
島田氏は1901年、神戸市須磨区生まれ。旧制神戸二中(現・兵庫高)などを経て東京帝国大(現・東京大)から旧内務省に入った。最後の官選知事として45年1月、沖縄県知事に就任。米軍の沖縄上陸が迫る中、「俺が死にたくないから、誰か代わりに行って死ねとはいえない」と言って受託したという。
知事就任後は沖縄県民の本土疎開や食糧調達に奔走し、多くの命を救った。国内最大規模の地上戦となった沖縄戦では、壕(ごう)を転々として執務を続け、同年6月以降、摩文仁周辺で消息を絶った。自決したとされる。
70年代、沖縄戦生存者の証言を基にテレビ局などが調査したが、今もどこで最期を迎えたかは判明していない。
島田氏や県職員の慰霊碑を管理する「島守の会」有志が足取りを追い続け、2008年、沖縄戦で島田氏の遺体を見たという元軍人が、その場所を語ったことを伝えるメモを発見。さらに、地元住民の証言などを重ねた結果、最近になって摩文仁の平和祈念公園内にある戦没者記念碑「平和の礎(いしじ)」南側にある井戸の近くの壕(ごう)で亡くなった可能性が高いことを突き止めた。
捜索は神戸市中央区で8日に開かれた島田氏をしのぶ催しで、同会の活動を知るノンフィクション作家が明らかにした。
予定地は草木が生い茂り、ハブ出没の危険性もあるため、秋から冬にかけて捜索を始める。同会の島袋愛子事務局長(65)=那覇市=は「沖縄県民のために命を懸けた島田氏の遺骨を探し出すことが、県民としての恩返しになる」と話す。
沖縄県と兵庫県は1972年、島田氏のつながりから友愛提携を結び、今年で40周年を迎えた。兵庫高校OBでつくる「武陽会」の勝順一副理事長(64)は「捜索が決まれば、先輩のために何らかの形でお手伝いしたい」と話している。